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ある日のなか志まやの出来事、つれづれ

2008年03月の店主日記
[過去の店主日記一覧]
●2008年03月30日(日)

       『The 澁澤』2

 澁澤龍彦が気になる、または憧れを持つ理由を端的に表現してくれた言葉がある。

「硬く、明るく、冷たいもの」
これは、澁澤龍彦の気質や嗜好を語る上ではずせないタームと思う。たとえばシモン人形の肌質。虹色に輝く甲虫の羽。大理石の卵。ボッス、クラナッハ、モローやスワンベルク等、氏の愛した画家の描く絵の持ち味も当然これと重なる。

      
また、どれほど取り扱うテーマが「異端」で「暗黒」であっても、筆先から繰り出す文体が粘着質に暗くなることはついに無く、冷徹で硬質で透明な明るさを常に湛えていたように思う。これは晩年に向かってよりいっそう顕著となる。

 これこそ、自分が目指す生き方、スタイルの指標のような気がする。

●2008年03月28日(金)

    はにゃ〜! 呉服屋もなめられたものだ。

 ずいぶん前から感じていたけれど、最近とくに感じます。
『着物を扱うことが(個展、または展示会を企画する、販売する、または発注する)いとも容易く、どんな人でも
明日から始められそうなくらいの業種』なのだなーと。プロというものが存在しない世界なのだと。

 いや、もしかしたら、そういった素人さん(呉服屋20年目だからいわせて頂きます)のほうが、熱意があるから、または大きな志があるからなのかもしれません。
 おそらくは、そうなのでしょう。
着物好きが高じて、または工芸を嗜好する方の道楽、どのような形であれ、その類いの着物表現は受け入れられ易く、どこか純粋さがあり、反面
家業にして、家族を養い従業員にも給料を払わねばならない商業ベースの呉服屋は、今の着物愛好家にとっては、どこか疑ってかかるべく存在なのでしょう。事実
呉服屋の展示会では、昨年もずいぶん悪い噂を聞きましたし、実害にあわれた方、消費者も同業者も含め、多くいらっしゃるようです。実に嘆かわしき・・・

 もはや、商業ベースで、着物を企画、販売することは、いまの時代に合っていないのではと思えるほどですし、それが自分の仕事だと思うと、ある種、虚しささえ感じることがあります。商売であるということを、ひた隠しにして商うのが呉服屋なのかもしれません。

 僕は着物の作家でもないし、何かしらのギャラリーの親父でもないし、骨董屋でもないし、何かの民芸的衝動に駆られた活動家でもなく、着物という衣装スタイルをお客様に着せることで、その方のある部分を演出するのが僕の仕事だと思っています。

 ただその演出した作品が、1クールで終わるものでなく、年契でもなく、なか志まやで制作したものは10年経っても、その着物や着手が存在するかぎり、作品に対して競合、クレーム、再編集をなんども問われるTVCMのフィルムだと考えます。

自分が演出した作品は、その時代、その当時、輝きを放ち凝縮された美しさがあると
信じます。そして、なおかつ、10年経ってもその味わいが色あせないような演出を
したいと考えますが、クライアントからは納品初日からクレームがつくこともあるし
1年後のクレーム、または要望、それが3年後、もしかしたら10年後にもと続いていくのです。
 たかが着るものなのですが、着物という衣装スタイルとその布地は、西洋から来た衣装とは明らかな違いのある高度?な成熟をしたようです。僕はそれにつきあって行かなければならないのでしょう。
 覚悟ができているのか正直よくわからないでいます。
世の呉服屋もどき、着物を人に勧める、見せる、売る方々は、その覚悟が出来ているのでしょうか。


 本来の呉服屋というか、美しい理想的な呉服屋というのはどういうものなのか、未だによく分からないでいます。
素人さんと同じく、布地の美しさに魅せられ、着物を装わせることに熱情を持ち、喜びを体感できる呉服屋であることには
間違いないようですが、その先がまだ確立できていないようです。

 着物を創る方、それを売る方、それを広める方、評論する方、それを仕立てる方も そして
着物はファッションだーと公言してきたこの呉服屋も、じつは着物はファッションという衣装にとどまらない
ある種、普遍性を持った思想のようなものだという覚悟と
それをリアルに日々、これからも長く継続して実感していくことを要求される=つまり責任を持たねばならない衣装なのだと

知るべきのような気がします。


追記: それの怖さに、その責任の大きさに身震いをしている呉服屋です(汗)

 

●2008年03月25日(火)

『The 澁澤』

 長い間、日記、またはなんらかの企画書とかそういった類いの文章を書いていないと、まったくもってへんてこな文章を書くものです。
句読点の位置すら分からず、平易な言葉が浮かぶばかりで・・・まぁもっとも
いままでも特別に素晴らしい文章をここに記した訳ではないので、そう苦にせず
好きなことを書けばよいのですがね。

 さて昨年から何かと心を掴む人物が二人いて、一人は『岡本太郎』そしてもう一人が
『澁澤龍彦』。

 大阪万博が幼少ドンピシャな僕にとって、太郎はまだある程度の認識ができるのですが、澁澤はなにかしら小難しいことや、一般の世の中からは奇なるものを取り上げた、60〜70年代の博識者ぐらいのことしか思い浮かばなかったのです。
 が、この歳になって澁澤の言葉なり美意識を垣間みるにつれて、これはずいぶんと
スタイリスト的な人間だなと思わずにいれません。
 そして、今日の社会からすれば、『性の解放』など化石のような概念ですが、もし澁澤の言葉を、多感な青春時代に読んだのであれば、きっと僕の人生は変わったであろうなと思えるものです。

 太郎は、僕にとって人生はじめて出会った芸術家。
そして、澁澤が『快楽主義の哲学』という著書のなかで、現代日本の理想的快楽主義者のひとりとして推奨した人物。
 が、『人類の進歩と調和』という脳天気なテクノピアごっこ、大阪万博のシンボルデザイナーとして、明るい未来を謳う国家権力に取り込まれていったという誤解(
ここでは、あくまで誤解と書きます)

 二人の中に、あまり多くの関連はみれないのですが、僕の中ではいつもリンクして
考えてしまう二人なのです。
 なぜにいつまでも心に留めてこねくり回しているかというと、それは何かを表現しようと思っているからなのです。
 それは、『緊縛』の羽裏・『若冲』の浴衣・『緊縛』の浴衣と同じことです。

 紐と緊縛をテーマにした浴衣は、あらゆる要素や想いをつめて削ぎ落とした
なか志まやの中の、最高傑作のデザインであると今でも考えています。
いろんなものに縛られながらも、見事に解放されたような突抜感があります。

 そしていま、『澁澤龍彦』に取り組んでいます。
デザイナーは、もちろんRumixの芝崎るみ。
着物業界にとっては、なんの魅力もないこのテーマは、『紐・緊縛』の延長線にあるものだと考えています。そしてその理屈付けを今も、探っている最中です。

 つづく・・・