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袖と振袖の浮世話

きものの大きな特徴に、ほんのわずか袖があることが挙げられる。しかし、埴輪のそれを見ても分かるように我が国の衣服は胡服の時代から始まっている。今日の洋服と同じく2部式形式、袖も当然、筒袖。後にこの筒袖の先に一幅、または半幅の布裂を付け足して、長いまま垂らされる事が工夫された。この付け足した部分を外手(ソデ)と呼び、もとの筒袖の部分を手本(タモト)とよんだのである。これを後に袖(ソデ)と袂(タモト)の字を当てることになる。

それでは、何故、筒袖に布を垂らし付ける事が日本の民族衣装の大きな特徴となったのか。それは、日本古来の独特の信仰によると考えられる。いわゆる呪術である。

その呪術は『魂よばい』といって、思いを寄せる人の魂に向かってソデを振ったのである。それは招魂の呪術で、生者の魂も死者の魂も、このソデを振って招き寄せたのである。『よばい』とは夜這いではなく『呼び続ける』という意味の上代語にあたる。

SNS始め、数々の通信手段を手にした現代人には想像もつかないかも知れないが、どうか昔の人気持ちになって想像してみて欲しい。願いを叶えるため、呪術は信頼得る手段であったに違いない。それならば思いを確かに届けるため、ソデは長いに越したはない。当然、男も女もソデを振った。誰もが学生の頃習う万葉の歌がある。

『あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』

意味は調べて貰うとすぐに分かるが、簡単に言うと『野守が見ているではありませんか!ひと目に立つからそんな袖を振らないでください!お願いですから魂よばいなどしないでください!』という額田王の困惑ぶりを歌っている。

平安の時代になると袖は大袖になって、今日のきもののようにタモトの下について垂れるようになり、ただ振るのみではなく装飾的な美しさも加味されたし、当然、男女の睦言に関わる布として、特に関わってくる。

『思いつつ 寝なくにあくる冬の夜の 袖の氷は解けずもあるかな』

今で言うならば、いくらLINEを送っても未読のまま、スマホの画面が涙で濡れる そんな感じあろうか。袖は様々な涙に濡れたと分かるのは、時代劇、歌舞伎、舞踊を見れば、袖を用いたその仕草に現れている。女の感情を表現するのに、袖を噛む、袖で顔を覆う、袖を胸前で合わせる、などなど言葉はなくとも、袖の動きで感情表現が出来る事は一目瞭然である。着物を着た女性の寡黙な美しさ、現代人からすると笑われてしまうような、かつてあったこの妄想は案外、袖があるから無言でも雄弁に感情を発露出来たと言う事によるのかも知れない。

長い袖を振って魂よばい出来たのは、古い時代は上流社会の人たちであり、江戸時代に至っても一部の限られた町人であった。十六世紀の頃、小袖の着物は一般化し、江戸時代になって世の中が平和になると、ようやく長袖、振袖が出て来る事になる。

振袖は娘の正装であるのは、今も昔も変わらない。今日の振袖の事情はとりあえずおいて、振袖は『魂よばい』を伝承して娘の袖が長いと考えるが自然である。今の時代と違い、昔は女はどこかに嫁ぐ事が最優先されたと思われ、親心としても良い縁が娘にお訪れるように願ったはず、それが振袖の袖の長さに現れている。

『振り袖』は『振れ袖』とは言わない。『振り』は袖を能動的自発的に振ると言う意味で、袖が風などによって『振れ』る事を言っていない。娘も能動的に袖を振って良い縁(男)を呼び寄せる事をしたであろう。それを願って親も振袖を作ってやったであろう。ただ人前で袖を振るのは憚れたに違いない。こそっと振ったのである。今日でも振袖の袖が振れるのを気にして歩くが、これはひと前で袖を振ることの恥ずかしさが慎みに変わった故であろう。教えなくとも本能的に分かる子もいれば、全く気にしない子もいる。長い歴史で日本人の血もグローバルになって来たと言える。

今の時代に、袖が長いことの真意が分かると、振袖を着る意味も少し変わってくる。呪術なんて信じない、袖に頼らずともこのスマホさえあれば良縁を探せる時代に、様式美である振袖はどうなっていくだろう。こんな浮世話を知らなくとも、それでも振袖を着た娘さんはやはり美しいと思う。それを着せてやりたいと言う親心もやはり美しい。

最後に、袖は二つあるから、二人の男をゲット出来るぜ!と言う強者がいるかも知れないが、如何せん、利き腕の方が強く振れてしまうので、まずは一人しか召喚出来ませんので悪しからず。その縁が結ばれ嫁ぐ事になると、振袖はもう着れません。その女性の礼装は振袖から留袖に変わります。何故か!違う男の魂を呼び寄せるような袖振りはもうしませんよ、と言う意味で、『袖をとめる、つまり袖を留める』これがいわゆる留袖である。それでも、1尺2〜3寸長さがあるので、振れるのでは、、、、と心配する旦那さんもいるかも知れませんね。人の心、女心、それは貴方次第です。